女性性男性性の融合〜真の自分がめざめる〜タントリック瞑想スクールMEZAME

「女性は愛する人に愛される事こそが幸せだ」というセリフについて。

「女性は愛する人に愛される事こそが幸せだ」というセリフについて。

4月に、とても辛い別れと、傷心を体験しました。

 

心にぽっかり穴が空いたような、笑いが全く持って顔に浮かばないような、日々の忙しさに紛らせて

何とか麻痺させておきたいような痛みを通り抜けて、色々と気づいたことがありました。

その一つに、私は愛される事に自分の幸せを委ねていたんだな、という事。

逆に言うと、愛されないと不幸せに感じる、となります。

ところで、不思議な事に、私の周りの結構な数の女性が、同じ時期に、

長期にわたるパートナーシップの解消という大きな節目や、別れを迎えていました。

 

「女性は愛する人に愛される事が幸せだ」というセリフがあります。

真理がそこにあります。

本来的に受動的な性である女性性は、受け取る事により満たされる、という基本性質があるからです。

プライドにとらわれずに、愛される事を、素直に求められる女性は、人生の流れにスムーズに乗りやすいと思います。

また、愛を素直に表現できる男性は、女性に尽くされやすい、とも言えます。

でも、性別を問わず、愛される事を素直に受け止め、愛する事を素直に表現するのは、大半の人にとって、

簡単な事では、ありません。みんなそれができるなら、今の世界はもっと、楽チンな場所になるに、違いありません。

 

さて、受動的であればあるほど、女性は自然と、自分自身を愛する事から、相手を愛し愛される事へと、

意識がシフトしていきます。I love you because you love meのような「紐付き」の愛が、自然に芽生えたりします。

「自分自身を愛する=相手に愛されるような自分になる!」というマーケティングが、世界中を埋め尽くしているのも、

女性の受動的な性質に、すっと入るものだから、でしょう。

そして女性は、魂の求めている愛が受け取れない時、

  • 自己評価が谷底まで落ちて、自分は価値がないと感じたり
  • 何とか愛を「取り戻そう」と無我夢中になったり、
  • 何で愛してくれないのかと相手を責めてしまったり、
  • 愛が自分から離れていった空虚感を、感じがちです。

そんなバイブレーションを感じて、ますます、相手は遠ざかっていきます。

これを責める事なく、女性は、受動的な性質があるんだ、という事を、自分自身で、優しく受け止めてあげたいですね。

 

そして、、、この「すっからかんになってしまった」時、鏡である相手からの愛を受け取れない時こそ、

真実の愛につながるチャンス。

天から与えられた試練、とも言えます。

 

愛の本質は、どこにも所属せず、かつ、全てを満たすエネルギーである。

 

瞑想をしている時など、瞬間的にこれを感じる事は、どんな辛い事態にあっても、可能です。

が、安定的に、定常的に、パートナーなどの他人に依存する事なく、これを感じている段階に至るには、

たくさんのヒーリングやワークが、必要になるように、思います。

 

私自身は、現在、愛のエネルギーにつながる事を、

ダンス、瞑想、呼吸ワーク、自然へ入る、女神につながる、ヨガ、など、

色々なセルフヒーリングを通じて行っていて、愛へのつながり直しを、

自分の提供するワークの中心に置いていきたいと感じています。

あとは、個人的には、今は、なるべく心優しい人たちに会うようにしていますよ★

 

そして、概念としてでなく、腹/子宮の底から、

・自分自身が愛のエネルギーである、

・自分を愛している、

・別離した相手も含めた世界を丸ごと愛している、

という事が、心身共に身につく時・・・

真実の愛につながるチャンスをつかんだのだと、言えるのかもしれません。

 

京都での満月の女性の集い 5/29

野性の女のミニリトリート(関東)祈りの森編 ダンス・野生・瞑想 6/16-17

女性向け動的瞑想リトリート 水と龍のヒーリング 野性の女のミニリトリート(関西) 6/30-7/1

女性が集まると、男性への愛が、深まる。

女性が集まると、男性への愛が、深まる。

「なぜ女性だけのプログラムなの?」 「男女というカテゴリーは、もう古いんじゃない?」

などの疑問やコメントを、時々受けています。
私は、男女性の調和を取るためにも、女性だけの時空間を大切にしています。

そして、性別という人の側面を慈しむ事と、性別を超えた人間の全体性や、かたちを超えた人間の存在を大切にする事は、

決して矛盾しない、と考えています。

大切なテーマなので、 私なりの見方を、少しづつ、書いていきますね。
<女性独特の、安心感>

女子限定体操・ヨガ、 女子会・・・

女性向けのワークが大好きな私でも、私は最初、日本に帰ってきた時に、実は男女の分離度に、ちょっと驚きました。

ある時、女性が男性の存在に安心ができないベースには、痴漢やハラスメントが蔓延する社会があるという事に、

友人との会話から気がつきました。
そんな、性のトラウマを差し置いても、生理的に、女性は男性と一緒の時にいる時と女性だけでいる時では、体に変化が出ます。

要は、いい意味で、 自動的に、緊張するのですよ。

タントラで、「極性」とも呼ばれるものにも、つながります。
女性だけでいると、この緊張感がないことが、父親的存在の与える安心感とは異なる、

ある本質的な安心感につながる、という事が、言えるのです。

さらに、「男性の前だと言いにくい事」がシェアできたりします。悪口とか、隠すとか、ではなくって、

秘密のことだって、あっていいんです。言いにくい事がある事自体を、ジャッジなしで受け入れる場が、あっていいんです。
男性への愛を深めるためにも、女性同士で集まる

女性で集まる事で、起きる事。それは、いかに自分の悩みが、他の女性の悩みと似通っているかに、気づくこと。

そんな悩みのうちの多くが、男性との関係、そして自分の内にある女性性と男性性のバランスの崩れ、なんです。
鏡とも言える他の女性の存在を見、女性という鏡を通して自分の姿が観られた時に、

男性に向かい合っていた時には、少しぐらついていた、女性としての足元が、しっかりとしてきます。
自分の足でしっかりと立てた時、自然と、男性との関係が、愛と調和の取れたものにシフトしていく。

これを、私はいつも、女性が集まる中で、見てきました。

まぁ、押さえつけていた男性への怒りが、女性が集まる事で、表面化して、どっかーんと出る場合も、ありますけどねー!笑
女性と男性への、両方の愛を深めるためにも、ぜひ、女性同士で、集いましょう。

LGBT/gender fluid、女子会と私のプログラムがどう違うのか、などは、またのブログにしたいと思います。

 

コミュニティ・タントラの前夜に・・コミュニティ関係者への誘い。(その2)

コミュニティ・タントラの前夜に・・コミュニティ関係者への誘い。(その2)

タントラを通じて、コミュニティ内の人のつながりが非常に強くなる件、またタブーに縛られない社会ができる件につき、

前回ブログで触れました。

今回は、パーマカルチャーや自然系のコミュニティにタントラがどう取り入れられていくのかを、書きます。

〜森の中でのタントラ瞑想のあと、人と自然がやたらにハグする様子。インドにて〜

<パーマ・タントラ??>

パーマカルチャーとタントラを一緒に教えるコース「パーマ・タントラ」を開催してきた、

タントラ・パーマカルチャー・ヒップホップ・アーティスト笑のDeva Presenceに去年会いました。

いい人すぎる上に、濃いキャラでした。

パーマカルチャーデザイナーを長年やってきて、自分自身の農園もアメリカに持っているパーマカルチャーのプロであり、

タントラを世界各地で教えているDeva。

彼の夢は、タントラとパーマカルチャーを結びつけた農園リトリートを作ること。私も前々から同じ事を妄想していたので、

意気投合しました。

 

「パーマカルチャーは、全てがつながっているという思想。何ものをも排除せずに生きるタントラと同じだよ!

人間版パーマカルチャーがタントラだよね!パーマカルチャーとタントラはどちらも無条件のラブを基本にした世界・・

お互い相性が良すぎるはずだよね!と言うより、ここは人類の未来のためにも、つながらなきゃ、ダメでしょう!」

 

その通り!

自然と人間のつながり、そして自然をこよなく愛すのがパーマカルチャーであれば、

タントラは人間という存在をこよなく愛す哲学・・・

そしてタントラを学んでいると、自然とのエネルギーの共有、調和と深い一体感が醸成されるので、

結果、自然と調和したライフスタイルを追求して、パーマカルチャーに行き着くということも、あります。

現段階では、実験として各地で試みられている、パーマ・タントラコミュニティの試みは、今後要注目と言えましょう。

 

ちなみにDevaのIn Abundanceと言うヒップホップCD。ラブいっぱいで、すごくいいので聞いてみてください!

すごーく素敵なパーマカルチャー・テーマソングも入ってます!

(ちなみにパーマカルチャー本家のパーマカルチャーについての定義には、あらゆる精神論を定義自体からは

排除することになっていますが、コミュニティの応用としてはヨガや仏教の瞑想なんかもどんどん入って行っています。)

 

<野性のコミュニティとタントラ>

以前ツアー企画も組んだ、アメリカの野性に深く繋がったタイプのコミュニティでも、タントラはごく自然な事として、

コミュニティに入って行っているようでした。

アメリカでも名高い山の中のエコビレッジEarthhavenの中にも伝統タントラコミュニティがあり、

アメリカ最大の野性のフェスFirefly gatheringでも現代タントラのコースが毎年開催されています。

 

タントラは内なる野性力を高める事でもあり、生命エネルギーの高揚をもたらします。

これらは自然に体を通じて理解・体感できる事でもあります。

また、雌雄のバランスと協働により世界ができている事も、自然の中にいると、火を見るより明らかになります。

野性力が上がるほど、男女性間の調和や人間性全てを肯定するタントラが、自然に感じられるようになってくるのでしょう。

 

ワークショップの紹介はこちらへ!

 

次は、タントラがもたらす根源的な平和と美の世界、そしてコミュニティの全体性の深化について、触れたいと思います。

コミュニティ・タントラの前夜に・・コミュニティ関係者への誘い。(その1)

コミュニティ・タントラの前夜に・・コミュニティ関係者への誘い。(その1)

コミュニティ作りの方々やパーマカルチャーなど自然ベースのコミュニティづくりの人、フェス関係者、

コミュニケーションやファシリテーション関係者など、オルタナなコミュニティ関係者に、

ぜひ来て頂きたいと思っている、今回のタントラのワークショップ。

インド発の哲学だとかが、どうコミュニティに関係あるの?ヨガ瞑想?よくわからない・・

という声に応えて、3回に分けて解説してみますよ!(書く事が多すぎるため)。

*タントラについて様々な解釈がありますが、本質として「何も排除せず、全体性を持った包括的な生き方」と私は捉えています。

〜世界22カ国から集まった人達と、1ヶ月のタントラ・コミュニティライフ。バリにて〜

今世界各地で、タントラをコミュニティの原則に入れるべく、色んな人が取り組んでいます〜。

パーマカルチャーとタントラを合わせる動きが増えています。また、フェスをコミュニティとして捉えるとすれば、

1週間など比較的長期で開催されるタントラ・フェスティバルは、世界中で、まさに雨後のタケノコ状態に増えています。

ヨガの次はタントラだね、がヨガ瞑想系の人の共通用語になりつつあるといっても、まぁ過言ではありません。

 

そうすると、インドの哲学に沿ったカルトっぽいコミュニティを作るイメージが浮かぶ人もいるかもしれません。

昨今のヨガブーム同様、現代の社会に合った、オープンなイメージですよ。集まる人達はビジネスパーソンも含め、

色々。インド発ではあるものの、世界各地で、かつて同様の「何ものをも排除しない」哲学が存在しており、

普遍的な考え方なのです。

 

今は、タントラ・コミュニティ、あるいはコミュニティ・タントラの前夜とも言えると、わたくしは踏んでいます。

では、なぜ、今コミュニティにタントラなのか?!

 

<とにかく、人のつながりの深さがハンパなくなる。>

タントラで生まれる人のつながりは、人格や見た目、年齢や性別を超えた、人としての本質に、直に触れるものです。

なので、タントラのイベントをすると、赤の他人と瞬間的にものすごく深いつながりが生まれがちです。

一緒にお酒を飲みに行ってつながりを深める。って、よくあると思うのだけど、タントラのつながりは、

素面でお酒を飲むより深いつながりが生まれる上に、その高揚感がその後も継続します。

男性と女性のつながりとタントラについてはこちらに書きました・・

 

あとコミュニティだと、お米作りとかエコハウスを建てるとかお祭りをやるとか、共同作業を通じてつながりを

深めますよね。タントラでは、お祭りに似たイメージで、お互いのあらゆる面を、コミュニティ全体で分かち合う場を

作る、という事を定期的にします。

 

最初に出会った瞬間から、相手の本質に触れてつながるため、後々、相手の人間的部分に接する中で、

「あーこの人合わない」「何でこんな事言うの/するの?!」など、沸々と生まれてくる偏見や疑念に引きずられそうに

なっても、相手の「人間性をも超える」本質を思い出すことで、原点に戻れます。

これはコミュニティ作りにとって、素晴らしい要素ですね!

 

<タブーのない社会で、イキイキ生きる。>

社会というのは、タブーで作られている、というのは社会学や文化人類学の基本理解です。

部族の生存に関わるタブーはあってしかりですが(自然を破壊しない、近親相姦しない、など)が、社会が発展するにつけ、

色んな事がタブー化され、「縛りのある社会」が形成されていきます。分かりやすい所で、

「人前で感情表現するのは、みっともないから、するべからず。」など。

 

タントラのコミュニティは、真実を追求することを大切にするので、自分の真実と相反するタブーを捨てるところから、

始まります。しかし、人と自分自身、自然を傷つけない、愛をベースにした行動を取る、と言う基本の倫理観が

ベースにあるので、破壊的行動やエゴ全開で相手を構わずをしたい放題するわけでは、ありません。

 

社会や周りの目、批判を気にする必要がない。

「・・すべき」「ルールに従え」といった発想が、タントラを学んでいると抜けていきます。

そのため、個人が、イキイキと生きていくことができます。

 

360度の側面から、自分らしくいられる。これは、オルタナなコミュニティに取って、

とっても大切な要素ではないでしょうか? タントラ・コミュニティを作りたい人たちが増えているのも、自然ですね・・・

ワークショップの紹介はこちらへ!

解説は、第2部、第3部に続きます。。自然系コミュニティとの関連、フェスとの関連などに触れていきます。

目からウロコ! 男性と女性が、人の全てとして向き合える場?

目からウロコ! 男性と女性が、人の全てとして向き合える場?

男女性の調和についての、地球規模の。大切さについて、前回のブログで触れました。

さて、自分の家から離れて、男性と女性が一緒に過ごす場って、2種類に大きく分かれる、と思います。

その1:男女間のエネルギーがニュートラルな場。職場、コミュニティスペース 、など。ヨガや瞑想のスペースもこれに入るかと。

そもそもセクシーな感じは人前で出してはならぬ。と考えると、要らぬ誤解・誘惑・関心は、避けたいところです。

 

その2:男女間の磁力が強い場。お酒が入ったクラブやミュージックフェス、バー、あるいは、お見合いコン、など。

前者では、お酒の「勢い」や、煙草や照明の力を借りて、性的なエネルギーが導かれています。

後者のお見合い系では、逆で“きちんとした”品性ある場を作る事で、安心感ある男女の出会いが作られます。

(お酒は入ると思いますが・・)

 

様々な系統の場に参加してきた私の心は、魂と魂が出会うような、深い経験をできるスペースを、

無意識的に求めていたようでした。

 

<目からウロコな、男女交流のスペース>

タントラやコンシャスダンスを習い始めた時、私の目から、 ウロコ が落ちました。

*タントラについて様々な解釈がありますが、本質としては「何も排除せず、全体性を持った包括的な生き方」と私は捉えています。

  1. 男女間の磁力エネルギーが、恐れられる事なく表現されている。かつ、安心感がある。

相手と自分が個人として惹かれ合うかどうかは、全く、気にしないでいい。

「男女間の磁力エネルギーを、

人間の全体性の一部として、

人前でありながら、

意識をはっきりと持ちながら、

自然に表現して、安全。」

というのは、衝撃的で、公の場では、常に隅の方に寄せておいた、女性としての部分がリラックスして解放される、

新しい価値観との出会い、でした。

 

2.タントラでは、お互いを尊く美しい存在として見つつ、自分をさらけ出せる、深い場がある。

タントラが、男女間の磁力の強い他の場と、決定的に違うのは、それぞれの人に尊さを見出す、所にあります。

サルサなどのペアダンスの場と似つつ、尊さと尊敬がベース。

いい人と思われる行為だけが尊いのではなく、全体性を持った全てが尊い。

なので、自分の弱さや脆さ、怒りの感情その他、何から何まで表現しても、安心に感じられる。

また、男性が普段出さないようにしている野生的なパワーやエネルギー、女性が表現を控えている爆発的な感情なども、

人間としての要素として、受け止める土壌があります。

 

安心できる場で、魂が触れ合う経験。

そんな場を感じに、ぜひ遊びに来てみてください。 東京・関西でのワークショップの案内

なぜ、男女間の調和が、そんなにも大事なのか???

なぜ、男女間の調和が、そんなにも大事なのか???

男女関係以外にも、仕事に家族に社会貢献にと、色々と忙しい方が多いです。

私とパートナーが主宰する3月の日本でのワークショップでは、男女性の調和に光を当てています。

人類の生存自体に関わる課題だ、と私達自身、捉えています。

が、それがワークショップを取るほどの緊急度を持ったものなのか、いまいちピンと来ない方も。

そこで、(特に社会派のあなたにも!)サクッと解説をしてみました。

-ちょっとドラマチックに、、、男女のつながり。-

 

<男女性は、世界の根本原理。>

日本の国産み伝説では、男神のイザナギと女神のイザナミが、矛をくるくるちょんとして島を生んだ事になっています。

男性と女性の要素と力、そして融和によって世界ができていることを、象徴的に示した物語、とも言えます。

動物界・植物界、そして人間の世界の命のめぐりは、基本的に、雌雄のつながりから生まれています。

草花も木も、鳥も動物も。

 

<引き合いの磁力から、ものが生まれる>

地球という惑星も、プラスとマイナスの磁極によって形成されています。

プラスとマイナスの、完全に相反する力が引き合う事で創造がもたらされます。

全く違っているからこそ、引き合いが生まれ、新しいものが生み出されます。

もちろん、私達は、性別を問わないコラボから、ものを作り出しても行きますが、

男女間のコラボには、特別な引力があると思いませんか?

男女間の磁力が作り出す創造性の極致は、子作りと言えますが、創造の形は子ども以外にも、

家族関係・コミュニティ・社会・ビジネス・様々なプロジェクトなど、男女のコラボと融和から、

男女性の両方の要素が組み込まれた、新しいものが生まれていきます。

男性と女性がそれぞれ“らしく”ある事や、競争を超えてお互いの違いを財産として慈しむ事は、

セクハラとか性差別とか価値観の押し付けだとかいう見方を超えて、バランスの取れた創造のために、大切なんです。

 

<バランスの崩れが、マズイ事に。。>

この辺までは、まぁ普通にそうだよね、、(男女参画社会のトークとかで聞いた・・)という感じかもしれません。

男女間のバランスの崩れがマズイのは、個人の性の葛藤やパートナーシップにおける軋轢などの問題にとどまらず、

環境破壊や暴力などの社会のひずみまでを形作っているからです。

どういう事?

 

ぶっちゃけ言って、今の世の中は、男性社会です。

どう男女平等と言っても、男性が1000年かそれ以上かけて作ってきた社会です。

その中で、女性の原理は、社会の原理からだいぶ端っこの方にキュキュっと寄せられています。

というのは、”男女平等”の大半は、女性が男性社会に合わせて、男性化する、という結果になっているからです。

(もちろん、投票権とか雇用均等とか、女性”差別”を超えた基本的人権の部分は大事ですが、差別と区別は違います)

 

社会やビジネスのデザインが、自然破壊を生み出し、貧困などのひずみを生んでいる事は、

女性性と女性の原理が抑えられている事と、関わっています。

直感、感情、感性といったものは、女性性の特徴ですが、これに欠ける社会は、大きなひずみが生まれます。

持続可能な社会を作るには、女性性というものについて、女性と男性が共によーく理解している事と、

男性が自分の中の女性性をも開花させる事、

また女性が男性社会で認められるべく男性化するよりも、自分の中の女性性を大切にする事、が、鍵になるのです。。。

 

さらに、男性性の方では、昨今、男性性的力が弱って、草食系が増える結果となっていたりします。

それは好みの問題、と言う声もありますが、ピースフルな草食系が増えた結果、不満が溜まった

肉食系?的男性のパワーが暴走するという形で全体のバランスが取られる可能性が、あります。

例えば、男性”らしい””的な”要素の一つと言える、野獣的なパワー。

動機付けが正しければ、素晴らしく建設的な力になるものが、動機が力の行使自体である時、

破壊、社会での制圧と征服、さらには”聖戦”と称した不毛な争いと戦いに向かったりします。

男性が、自分の男性性を、よーく理解して、内在化していく事、男性が男性同士の力を受け止められる事は、

社会全体のバランスの崩れを避ける事でもあったりします。

 

最後に、、

性のエネルギーは、新しい生命を作るだけあり、生の根本のパワフルなエネルギーです。

が、これが恥ずべきものなどとして抑圧されると、うっぷんを晴らすべく、歪んだ形でエネルギーが爆発したり、

エネルギーが沈没してうつなど自己破壊的な方向に行く事もあります。

アダルト系産業など、性の商品化は言うまでもなく、性のパワーの吸い取り先になっていますが、

さらには、ISISなど中東の昨今の極端なテロリズムの盛り上がりは、

性の否定によるエネルギーの暴走から来ているのではないか、

と中東の友人が言っていたのをも思い出します。

 

男性性と女性性を、あらためて見つめなおすこと、違いの中の美しさに気がついていくこと、

つながりに尊さを見出す事-男女性の融和は、個人と世界の課題を癒しへと導いていく力を持っています。

何となく頭で考えると納得いくような、このテーマは、体を通して理解しないと、本当に腑には落ちません。

ダンス、瞑想など、体感のワークで、男性性女性性への理解、ぜひ深めに来てみてください。

東京・関西でのワークショップの案内