6月 8, 2018 | Uncategorized, コンシャス・ダンス, 女性と自然, 聖なる女性性・セイクリッドフェミニン
前回のブログで、私が、過去セクシーで美しいスピリチュアルのアプローチに惹かれ始めたくだり、書きました。
さて2012年には、先述のShiva Reaの輝かしいエネルギーに惹かれ、初の10日間海外ヨガリトリートに飛び込みました。
コスタリカの海岸にある、楽園という名が正にふさわしい、世界トップのヨガリトリート・リゾート、
Blue Spiritの神々しいヨガスタジオで、100人の参加者と、朝に夕にShivaのヨガ、ダンス、毎日サーフィン、最高の
ベジタリアンフード、、
(しかもラッキーにも彼女のマッサージまで受けられ)、超超ラッキーな経験を、ハタヨガ初心者にして経験した私。
Shiva Reaは当時から聖なる女性性が大ブームだったCaliforniaベース。女性性の全面的な肯定と、
力強い芯の通った男性的な安定感が素晴らしいティーチャーです。
<Blue Spiritは美が形を取った最高のヨガリゾートでした。(建てたのは男性です<3)>
エネルギーが完全に浄化され、前向きな思考に、スーパーヘルシーな体を、10日間で得た私。
”こんな世界が存在したのか”と衝撃を受けました。
スピリチュアル・リトリート。それまでの私の人生には存在しなかった、概念でした。
”セルフケアのために、精神を深めるために、自然の美しい場所で、美しい時間を、すべてから離れて、満喫する”
日本の都会で働く女性たちで、セルフケアのためのダンス・ヨガ・瞑想のリトリートに、
時間とお金を割く人は、まだごく少数です。
もっと、日本に、リトリート文化を。
なぜ、リトリートが、女性にとって、大切なのか?
・家族、仕事、プライベート、すべてに便益のシャワーがもたらされるから
子育て中の母の方も含めて、一人で”引きこもる=リトリート”し、リセットをし、自分を取り戻し、心身を浄化し、
美しい本来の自分に帰ってこそ、良い仕事、良い家庭環境、良いプライベートを築けるパワーを持つことができる。
・そして、それは、普段の環境から遠く離れて自然に行く事、時間をしっかりと取る事で、起こる事だから。
体を健康にし、目まぐるしい思考から抜け出るためには、それなりの時間の投資が、必要です。
自然豊かな場所に身を置く事で、エネルギー、感情、色んな面でのシフトが、起こります。
・そして、そんな変化は、内面からの深いシフト/リセットを通じて起こる事だから。
美味しいものを食べ、温泉につかる といった事のリラックス感や、楽しい感だけでは達成できない、
内面からのセルフケアを、ヨガ、瞑想、ダンスなどを通じて、行っていくのです。
・抑えられがちな女性性をうちから解放させる事が、リトリートでは、可能になります。
職場など普段の硬めの環境。どうしても、男性視点から作られている社会。そこで伸び伸びしていない女性性を、
体を通じたワーク(ヨガアサナやダンス)などを通じて、思う存分解放させてあげる環境が、
あなたのバランスと輝きに大きな助けになります。
日本では7−10日間のリトリートに参加できる人は少なくても、せめて3−5日間のリトリートを行う事で、
目に見える、見えない両方の強力なインパクトが、その後の生活や人生に、もたらされるのです。
→ 今回は、リトリートの概念が新しい方へもオープンに、日帰り2日方式と1泊2日方式で、提供しています。
野性の女のミニリトリート 祈りの森編 関東 6/16-17
野性の女のリトリート 水と龍のヒーリング 関西 6/30-7/1
コスタリカでは、こんな目的のためだけに作られた場所が、存在するという事も、衝撃でした。
(コスタリカは、泣く子も黙る、ヨガツーリズム大国なのです)
そして、参加しているのはヨガティーチャーと言った人たちだけではない、私のような、
普通のビジネスパーソンが、たくさん参加していました。
圧倒的に女性が多かったのは、確かですが、一定数の男性がいたのも、印象的でした。
では次に、ヨガ・瞑想でウキウキだった私が、ダンス瞑想に吸い込まれていく様をお届けします・・・
続く・・・
<リトリート参加者とのウキウキ写真>
6月 5, 2018 | Uncategorized, コンシャス・ダンス, タントラ, 女性と自然, 聖なる女性性・セイクリッドフェミニン
よく、「Akikoさんは、どんな人生の変化を辿って、今の瞑想とかダンスとかタントラとかをするまでに至ったのですか?」
と聞かれます。
過去20年ほど、常に自然派ではありながらも、やはりキャリアウーマン一筋で、ものすごーく男性的だった私の女性性が、
どう開花して行ったのか。(なお、今でも私の男性性は、力強いです!)
こと、
「フリーフォームのダンスと女性性の開花とのつながりが、やっぱり、ピンと来ない」
多くの女性の参考になるかもしれないと思いますので、ちと、話は長くなりますが、このブログで、書いてみる事にしますよ。
(タントラ、自然を通じたシフトについても、また書きますね!)
<ステップ1.ヘビーな別れをきっかけに、芯が欲しくて、瞑想を習い始めた>
アメリカ院留学をし、院の不眠生活、パナマやアフリカでの超ハードコアな政策インターンシップをサバイバルし、
卒業後、ワシントンDCに上京した10年ほど前。
結構ヘビーな別れを経験しました。当時、婚約していたのでした。
公園で彼と別れを告げた後、周りが見ているのも気に留めずに、ボロボロ泣きながら通りを歩いて、
その足で、ヨガセンターで開かれていた、ビパッサナ瞑想クラスに、初の瞑想クラスとして参加したのを覚えています。
瞑想中もずっと泣いていました。
直感として、自分の心理・精神面に、足りなすぎる部分があって、なんとかしたい!
そして、今瞑想というものをしないと、自分で自分が維持できない!と思ったからです。
いわゆる、男性性的な、ビシッと芯を通し、揺るがない、大きな感情の揺れに揺さぶられない、
全てを見通せる、そんな自分が、瞑想を通して、欲しかったのです。
<ステップ2.さらにヨガを習い始めているうちに、女性性と、スピリチュアルが並存する事が、気持ちよくなってきた>
1ヶ月後、別れのダメージを癒しつつのビパッサナ瞑想が、だいぶいい感じになってきました。
さらにこの瞑想を毎週開催している、ワシントンDCのど真ん中にある、おしゃれなヨガセンターで、ヨガを習い始めました。
当時からアメリカでも、ヨガはすでにだいぶんファッション的な感じで。しかし、
キレイな女の子が、キレイで高いヨガ服をまとい、高いヨガマットを持って、おしゃれにやっている感じが、
実は私は、昔から好きではなかったのです。
ヨガっちゅうものは、真面目に、がっつりやる、インドのものだろう! と思っていたので。
いわゆる、禁欲的(男性的)な精神性、です。真面目でないとダメ、チャラチャラしたのはダメ!
それが精神世界とゆうものだ
と、禅の日本で生まれ育った私は、思ったわけです。
しかしながら。やっているうちに、実はそのおしゃれヨガセンターが、結構ヨガの本質を極めている事や、
その中心的存在である、某超大御所セレブのヨガティーチャーShiva Reaが、女性的で野性的で美しい事を、
さらっと大前面に出しているのが、すごく自然で、インスピレーションを受けるのでした。
キレイでかつ瞑想的なのが、共存している感じが、意外と「気持ちがいい」と言う事に、気がつき始めました。
この辺りで、どうやら、女性的でありながら、精神的であることを、前向きに捉えられるように、なってきました。
次回に続きます・・・
5月 28, 2018 | コンシャス・ダンス, 聖なる女性性・セイクリッドフェミニン
ダンス瞑想である、コンシャスダンスを通じて、「内面から輝く自分を作っていく」って、どういう事でしょうか。
型の文化である日本で、日本にある型って、本当に美しいです。体を動かす型で言えば、舞も、武道も。
その一方、あえて型がほとんどない、フリーフォームのコンシャスダンスは、型という外の部分がない分、
どれだけ、自分の内面を大切にするか、目に見えない自分の本質につながるか、が鍵になります。
コンシャスダンスが、輝かせる内面って、何でしょうか。
社会の中で、他人の期待、他人の評価に沿って、私たちは日々、体を動かしています。
例えば、女性の場合、日本女性は、こう動くべし、こうあるべし、という、
女性としての型というのが、日本文化は、すごく厳密に、あります。
その規範の中で、外面としての体が動き続ける中、内面もおのずと、型に沿ったものに、なります。
例えば、おしとやかである事、品が良い事、きちんとしている事・・・
どれも、素敵な事です。
ただ、それが、かなりの部分、生まれ育った環境と、周りからの期待からできていて、
日本女子として当然そうあるもの、そうなければ、美しくはない、と思って、形成されてきたもの、です。
野性の女のリトリートという、日本的にはかなり激しい名前のリトリートを構想した時、私は、
女性の万華鏡のような多面性に、想いを馳せたんです。観音や菩薩ですら、ありとある顔を持っているんです。
野性の持つ意味は、また別に触れますが、
言いたいのは、女性が内面に持っている輝きの質は、本当は、いろんな顔を持っていて、
その一方で、これが私だ、と決め込んで、外に表現している事が、多いんじゃないかなぁ、と。
フリーフォームが、ちょっと不安、怖く感じる、という人がかなり多いようなので、なぜかなぁと思うと、
この、社会の規範から、はみ出る感じ、言われた事ではなく、自分で感じて動く感じが、
すごく違和感があるのかも、しれません。
ヨガだと型があるからやりやすいけど、ダンスはちょっと・・とか。
でも。
外からの目に囚われずに、自分の内面に向き合って、それを表現できる場、
それがダンス瞑想には、あります。
誰からも指示される事なく、自分自身の内面を見つめて、
それを形に取って表現する事によって、内からの輝きが、自然に、身につくのですよ。
作られた美ではない、偽りのない、自分自身としての美、輝き。
これを私は野性の美、と呼んでいますが、内から自然に輝いていく、そんな事を、ダンス瞑想が、
してくれる、と思っています。
野性の女のリトリート 関東・関西、ご参加される方、募集中です<3
5月 21, 2018 | タントラ, 聖なる女性性・セイクリッドフェミニン
4月に、とても辛い別れと、傷心を体験しました。
心にぽっかり穴が空いたような、笑いが全く持って顔に浮かばないような、日々の忙しさに紛らせて
何とか麻痺させておきたいような痛みを通り抜けて、色々と気づいたことがありました。
その一つに、私は愛される事に自分の幸せを委ねていたんだな、という事。
逆に言うと、愛されないと不幸せに感じる、となります。
ところで、不思議な事に、私の周りの結構な数の女性が、同じ時期に、
長期にわたるパートナーシップの解消という大きな節目や、別れを迎えていました。
「女性は愛する人に愛される事が幸せだ」というセリフがあります。
真理がそこにあります。
本来的に受動的な性である女性性は、受け取る事により満たされる、という基本性質があるからです。
プライドにとらわれずに、愛される事を、素直に求められる女性は、人生の流れにスムーズに乗りやすいと思います。
また、愛を素直に表現できる男性は、女性に尽くされやすい、とも言えます。
でも、性別を問わず、愛される事を素直に受け止め、愛する事を素直に表現するのは、大半の人にとって、
簡単な事では、ありません。みんなそれができるなら、今の世界はもっと、楽チンな場所になるに、違いありません。
さて、受動的であればあるほど、女性は自然と、自分自身を愛する事から、相手を愛し愛される事へと、
意識がシフトしていきます。I love you because you love meのような「紐付き」の愛が、自然に芽生えたりします。
「自分自身を愛する=相手に愛されるような自分になる!」というマーケティングが、世界中を埋め尽くしているのも、
女性の受動的な性質に、すっと入るものだから、でしょう。
そして女性は、魂の求めている愛が受け取れない時、
- 自己評価が谷底まで落ちて、自分は価値がないと感じたり
- 何とか愛を「取り戻そう」と無我夢中になったり、
- 何で愛してくれないのかと相手を責めてしまったり、
- 愛が自分から離れていった空虚感を、感じがちです。
そんなバイブレーションを感じて、ますます、相手は遠ざかっていきます。
これを責める事なく、女性は、受動的な性質があるんだ、という事を、自分自身で、優しく受け止めてあげたいですね。
そして、、、この「すっからかんになってしまった」時、鏡である相手からの愛を受け取れない時こそ、
真実の愛につながるチャンス。
天から与えられた試練、とも言えます。
愛の本質は、どこにも所属せず、かつ、全てを満たすエネルギーである。
瞑想をしている時など、瞬間的にこれを感じる事は、どんな辛い事態にあっても、可能です。
が、安定的に、定常的に、パートナーなどの他人に依存する事なく、これを感じている段階に至るには、
たくさんのヒーリングやワークが、必要になるように、思います。
私自身は、現在、愛のエネルギーにつながる事を、
ダンス、瞑想、呼吸ワーク、自然へ入る、女神につながる、ヨガ、など、
色々なセルフヒーリングを通じて行っていて、愛へのつながり直しを、
自分の提供するワークの中心に置いていきたいと感じています。
あとは、個人的には、今は、なるべく心優しい人たちに会うようにしていますよ★
そして、概念としてでなく、腹/子宮の底から、
・自分自身が愛のエネルギーである、
・自分を愛している、
・別離した相手も含めた世界を丸ごと愛している、
という事が、心身共に身につく時・・・
真実の愛につながるチャンスをつかんだのだと、言えるのかもしれません。
京都での満月の女性の集い 5/29
野性の女のミニリトリート(関東)祈りの森編 ダンス・野生・瞑想 6/16-17
女性向け動的瞑想リトリート 水と龍のヒーリング –野性の女のミニリトリート(関西)– 6/30-7/1
5月 12, 2018 | Uncategorized, タントラ, 聖なる女性性・セイクリッドフェミニン
「なぜ女性だけのプログラムなの?」 「男女というカテゴリーは、もう古いんじゃない?」
などの疑問やコメントを、時々受けています。
私は、男女性の調和を取るためにも、女性だけの時空間を大切にしています。
そして、性別という人の側面を慈しむ事と、性別を超えた人間の全体性や、かたちを超えた人間の存在を大切にする事は、
決して矛盾しない、と考えています。
大切なテーマなので、 私なりの見方を、少しづつ、書いていきますね。
<女性独特の、安心感>
女子限定体操・ヨガ、 女子会・・・
女性向けのワークが大好きな私でも、私は最初、日本に帰ってきた時に、実は男女の分離度に、ちょっと驚きました。
ある時、女性が男性の存在に安心ができないベースには、痴漢やハラスメントが蔓延する社会があるという事に、
友人との会話から気がつきました。
そんな、性のトラウマを差し置いても、生理的に、女性は男性と一緒の時にいる時と女性だけでいる時では、体に変化が出ます。
要は、いい意味で、 自動的に、緊張するのですよ。
タントラで、「極性」とも呼ばれるものにも、つながります。
女性だけでいると、この緊張感がないことが、父親的存在の与える安心感とは異なる、
ある本質的な安心感につながる、という事が、言えるのです。
さらに、「男性の前だと言いにくい事」がシェアできたりします。悪口とか、隠すとか、ではなくって、
秘密のことだって、あっていいんです。言いにくい事がある事自体を、ジャッジなしで受け入れる場が、あっていいんです。
<男性への愛を深めるためにも、女性同士で集まる>
女性で集まる事で、起きる事。それは、いかに自分の悩みが、他の女性の悩みと似通っているかに、気づくこと。
そんな悩みのうちの多くが、男性との関係、そして自分の内にある女性性と男性性のバランスの崩れ、なんです。
鏡とも言える他の女性の存在を見、女性という鏡を通して自分の姿が観られた時に、
男性に向かい合っていた時には、少しぐらついていた、女性としての足元が、しっかりとしてきます。
自分の足でしっかりと立てた時、自然と、男性との関係が、愛と調和の取れたものにシフトしていく。
これを、私はいつも、女性が集まる中で、見てきました。
まぁ、押さえつけていた男性への怒りが、女性が集まる事で、表面化して、どっかーんと出る場合も、ありますけどねー!笑
女性と男性への、両方の愛を深めるためにも、ぜひ、女性同士で、集いましょう。
LGBT/gender fluid、女子会と私のプログラムがどう違うのか、などは、またのブログにしたいと思います。