自然と対話をする力:先住民文化のスペシャルなところ

自然と対話をする力:先住民文化のスペシャルなところ

世界の先住民が受け継いできた、大自然と人との親密なつながりが、ブームのように注目されている。

先住民文化と、現代文明の間の、ある大きな違いは、前者が

「自然とコミュニケーションして、一緒にものを進めていく力を持っている。 」という事だと思っている。

 

<いかにして、それが聞こえるのか ?>

”風がこう言った。” ”この植物がこう言った。”

各地の先住民、特にシャーマンを訪れると、自然と会話し、自然のメッセージを読み取る力に、驚かされる。

私たちは、週末に、ハイキングや水遊び、キャンプや畑仕事に行けば、ダイレクトに、自然に接する機会がある。

けれど、自然と”対話”する という事は、身近に感じないかもしれない。

私たちは、学校でも、社会でも、自然を”対象物”としてみてきた。

自然は、科学的に分析・把握するもの。自然は、水や木材やエネルギーといった、生活や社会に利用される資源。

自然に声がある、感情がある、 などと、学校や会社で習った人は、少ないはずだ・・

 

先住民の、自然との対話は、違っている。

先住民は、自然が叡智を持った存在で、人間の見えない事・気づかない事を教えてくれる、

偉大なるマスター、母なる存在、と捉えている。マスターの教えを受け取る耳と心を、持つ必要がある。

 

<自然と一緒に、決め事を。>

静寂。

”感情”・”体”・”精神”・”心と知性”、存在の全体を通じて、

静けさの中、聴く。見る。五感を通じて、理解する。

 

儀式。

祈り、歌い、踊り、心を開いて、会話する。

 

そして、身を置く。

自分が自然の一部になって、自然が自分の一部になって、

奥の深い対話を、織り成す。

 

”自然がこう言ってる事を踏まえ、あそこの山には作物を今年は植えないで、代わりにあそこの丘に植える事する” などなど、

自然が、人と一緒に、意思決定をする、主体の一部になっている。

  

シャーマンの能力が、もちろん誰にでも身につく、わけではない。

先住民部族の中でも、選ばれた才能のある者が、シャーマンとなるわけで。とは言っても、

自然と共に生きる部族のメンバーは、全体的に、自然とのコミュニケーション能力レベルが高いのは、間違いない。

<自然の声を、聞く>

自分なりに、第六感を鍛える事は、できる。自然が発するメッセージを、直感と心で

聞くように、心がけることから、始まっていく。

自然の声が、何となくわかるようになると、自分の体と心の声にも、同時に気づき始める。 

それは、”自分の中の自然”のメッセージでもあるので、

自然に沿った、自然を感じられる暮らしを、自然と、するようになるかも。

  

例えば、自然の森に足を伸ばして、森のエネルギーを受け取る習慣がついたり、

自然から切り離す素材(人工素材)やデザイン(風や光が入りづらい・高層など)で、できた家から、

風や光とコミュニケーションできる、外の自然と対話ができるような、自然素材の家を建ててみたり。

自分の体と心に無理をかけない働き方や仕事に、シフトしたり。

 

たくさんの人が、自然の声を聴くようになったら、

自然の立場を踏まえて、街のデザインや、いろんな決め事をコミュニティでするようになって、

街全体が、心地の良い、自然豊かな環境へとシフトしていき、

ロジックというよりは、体の感覚から始まる、”環境問題の解決”にも、つながってしまうかも、しれない。

 

そんな社会の未来は、かなり遠く感じるかもしれないけれど、

1人1人の変化から、新しい未来はできていくと思う。

DANCEMandala – ダンス瞑想のファリシテーション

DANCEMandala – ダンス瞑想のファリシテーション

5月、コンシャス・ダンスの1形態として広まっているDANCEmandalaの創始者Areeradh K.Trishiddaによる、ファシリテーター・トレーニングを、世界各国からの受講者と共に、タイで受講しました。

DANCEmandalaは、瞑想としてのダンスに重きを置いており、ヨガの哲学をベースにしています。
トレーニングの内容自体も、体に深くつながる、奥深いものでした。

<自意識を捨てた状態でのダンス>

人が踊っている時の身体の表現は、プロやアマチュア、完璧さを抜きに、本質的に美しいものです。

ですが、踊る事を通じて、自然に踊っている自分に対する自意識が、身についていくもののようです。

ダンスは、一般的に”美しく、かっこよく” ”見た目良く” として習うことが大半だから・・

この自意識は時に、瞑想としてのダンスをするにあたっての、障壁ともなります。

DANCEmandalaのファリシテーション・トレーニングの中では、
自意識を捨てた状態で、体が勝手に動く状態を作るという、ちょっと難しい練習がありました。
(Authentic Movementと呼ばれるプラクティスです。)

ふだん私たちは、

”こういう風に踊りたい、体を動かしたい”

と、頭から体に命令を出して踊る事に、慣れています。

なのでこのプラクティスで頭から指令を出さなくなると、体が全く動かなくなる、という参加者もいました

(ちなみに、彼女はベテランのプロダンサーです)。

私自身は、この練習の中で、体の外側のどこからか、エネルギーが流れてきて体が勝手に動いていく経験をしました。
肩甲骨の下あたりなど、ふだんは意識して動かさないような体のパーツも、動いたりしていました。

このプラクティスのポイントは、”Let dance move you, not you move your body”
(ダンスが体を動かすのであって、自意識ーエゴが動きを作るのではない)
という、トランスとも言える状態を作りやすくする事です。

この状態に入った時に、頭でコントロールしている時には現れない感情が露出するのを観察したり、
体の中のエネルギーの流れがとても良くなったり、不思議な動きが現れる事を体感しました。

<ダンスはエネルギーを発信するという事>

瞑想としてのダンスのファシリテーションは、頭で理解して伝えるファシリテーションとは全く違っています。

本人の存在自体を通じて、ファシリテートする内容が伝わる事が、最も肝心。
これを”Embodimentをする”と呼び、トレーニングではこの訓練をかなり行いました。

プロのダンサーが舞台で踊る時に、圧倒的に人を惹きつけたり感動を呼ぶのは、このEmbodiementを通じて、
エネルギーの共振状態が成り立っているからだ、と私は思っています。

あるプロダンサーの素晴らしいパフォーマンスを見ていたある日、私は

”ダンスは体の動きを通じて、エネルギーを観客や周囲に向けて、発信する行為なんだ”

という事に気づきました。

ダンサーの発するエネルギーの周波がビンビンと強い時は、それが周りの人々の波長に影響を受けて、

共振している状態が作り出されるという事です。

これと同様に、瞑想としてのダンスのファシリテーターは、本人が作り出す波長が強いかどうかが、鍵となります。

DANCEMandalaのセッション。日本で提供できる機会が早く来ればなぁ、と願っています。

圧倒的な、女の動物神。

圧倒的な、女の動物神。

別のブログで触れた、東インドの64の女性神殿にて。

1000年を経た女性神の石像は、今も生きているかのように、美しく立ち、しなやかに踊っていました。

それぞれの石像は、高さ50cm弱ほどの小さなサイズでありながら、強いパワーを放っています。

(神様の像の全身写真をアップロードするのは、はばかられるため、足元の姿だけ、シェアしました。)

全ての女性神は、トップレスで、全身を美しく飾り、その美しさを誇っています。
「神」が持つ一般的なイメージ ー ストイック、悟り、感情を超えた存在 ー と対比的に、
美しい身体表現と豊かな表情を通じて、神性を体現(Embodiement)する、女神像。

身体性を包容する信仰は、ストイックな信仰と相反するものとして迫害される歴史を持っており、
女神のほぼ全てが、顔、乳房、腕や足のどれかを、過去の侵入者に破壊されています。

 

<動物の女神たちの教え>

さて、女神石像の中でも、特に強いエネルギーにぐわーっと圧倒されたのが、神秘的で原始的な生命力を秘めた、
動物神たちでした。

Yogini templeの神様たちは、シャーマニズム(自然信仰)が色濃く残っている時代に、
それぞれの動物が持つ力がそのまま信仰されていることを感じさせます。

(左:蛇の女神。)

猪の女神、ライオンの女神、ネズミの女神。蛇の女神、と、
動物の顔と女神の体を持つ神たちが、Yogini神殿には、多数。
美しい女性の顔を持つ神々を圧倒する、野生的なエネルギーを全身から放っています。

これらの像は、単に動物の顔を持っているだけではなく、
体全体で、それぞれの動物が持つ力(メディスン)を、体現しています。

仁王のようにたくましい立ち姿のライオンの女神。
野性を全身に漲らせて踊る、猪の女神。
ネズミの女神は、背筋がすっと通り切り、凛としています。
(ネズミから学ぶことが何なのか、深く考えたことはありませんでしたが、ネズミは知能の高い動物です。)

こと、他の神殿の入り口などのキーとなる場所に守護神として美しく立っている、蛇の女神像は、
命のエネルギーが立ち上る様を見事に表しており、それを見る事で、私自身の体のエネルギーも、
通りが良くなるよう二、感じました。

神性を体現する像を見つめる事自体が、 体を通じた 深い瞑想となっていきます。

、、、生命力の溢れたありよう、野性の知性、直観力、力強さ、、、

山で猪に遭遇した時、大蛇を目にした時、人々は畏れとともに、どのような感化を受けたのか・・・

人と自然の間の境界線が、今のようにくっきりしていない時代の、自然から啓示を得ていた人のあり方に、
思いを馳せました。

そして、女の動物神は、女性が野生のエネルギーを体現していた時代の、

女性のあり方の象徴でもあるかもしれない、

とも、思いました。

 

インドは精神哲学が発達した地域の中では珍しく、動物神の地位がメインストリームの信仰で高い文化。
有名どころでは、象の頭の神様ガネーシャ、サルの頭の神様ハヌマーン(いずれも男神)。
これらの神様は、神話のストーリーの中でかなり人間化され、彫刻も人間的な印象を受けるものが多いです。

比べて、Yogini神殿の動物神は、野性のエネルギーと神秘性が、そのまま、残されていたのでした。

神殿の鍵を握る、女性。

神殿の鍵を握る、女性。


今年初め、インドに滞在中、神殿舞踏(Temple Dance)をユニークな形で体験する機会がありました。


(10世紀に建造された東インドの太陽神殿のダンサーステージの壁には、無数の女性ダンサーが生き生きと踊っている。ダンサーTenleyと。)


世界各地で、古来の踊りのメイン形式であった、神殿舞踏は、
形を変えながら、今に引き継がれています。日本でいうと巫女舞や神楽など。


昨今は、その形式美にひかれるだけではなく、
「人という存在を超えた大いなるもの」に捧げるダンスとして、
踊る女性たちが、密かに増えています。


私が出会ったのは、神殿舞踏のフュージョンを教えるダンサー、
Tenley Wallece
Tenleyとは数奇な巡り合わせでした。


東インドには、64の女性神(Yogini)が祀られる、10世紀に作られた神殿が、人知れずあります。


複数のYoginiが祀られる神殿は1000年ほど前にインド各地で建設されました。
が、ムスリムなどの影響で徹底的に破壊され、
きちんとした形が残っているのは、インド大陸で1ヶ所のみ。
セイクリッド・フェミニン(聖なる女性性)のテーマを追う私は、
その寺院に、かねてから行きたいと思っていました。


偶然にも、彼女はこの神殿の女性神を体現するダンスの振り付けを作り、それを
教えるためにインドに来訪。3月には、実際の神殿を巡礼する旅を企画していたのでした。

(太陽神殿の美しい女蛇神と息を呑む精巧な彫刻。)

 


彼女のダンスのテーマは、

「神殿の鍵は、女性が握る」

というもの。


太古の昔、数多くの女性神の神殿が、女性神職の元に属していたものが、
歴史を通じて、女性たちの手から遠いところへ、離れていきました。


シンボルとして、女性が神殿の鍵を手にする、ということは、
男性と女性が、鍵を巡って戦いあう、ということではない、

女性の精神の解放と大いなるエンパワーメント

を、意味しています。


Tenleyのダンスレッスンでは、私含め世界各地からの全くタイプの違う8人の女性が、
慈悲の女神、享楽の女神、守護の女神、蛇神など、様々な顔と形を持つ女性神に、ダンスを通じて
つながる経験を持ちました。体を通じて、女神を表現するというのは、とてもありがたい経験である
とともに、相当チャレンジングなことでした。
女神という存在の持つ圧倒的なパワーを前に、踊りとして表現するだけでなく、
1人の人間としてどう生きていくか、までが、問われました。


女神に捧げる舞という形で、観客の前で踊った夜、ダンスを通じて神殿の鍵を開けることは、
言葉にできない、エンパワーメントの経験でした。


女性が踊り、踊りを通じて聖なるものとつながる経験をする、という事は、
とても、大きな事です。


世界を満たすエネルギー(サンスクリットでShakti)は、ヨガ等で、
全ての根源である、聖なるエネルギーとされています。
このエネルギーは、人の生命力でもあり、自然に満ち満ちているエネルギーでもあります。
世界が「男性性」と「女性性」の2極でできている、という思想によると、
Shaktiは、セイクリッド・フェミニンそのもの。


女性は、Shaktiを体で体現する存在。
Shaktiは自然に、 踊り という形をとって、体を通じて表現されます。


女性が根源につながって踊ることは、踊りを受け取る人々と、そして踊る女性自身の奥にある、
深い何かを揺り動かし、目に見えない変化のきっかけを作っていきます。

 

パーマカルチャーもまた、森に向かっている。

パーマカルチャーもまた、森に向かっている。

21世紀のコミュニティをリデザインする、パーマカルチャー。

自然の原理を、巧みにランドスケープ・コミュニティ・社会のデザインに取り入れるこの手法も、

また森へと向かっています。

 

今年2月、インドのゴアで、18カ国から集まった年齢・背景の様々な人達とともに、

パーマカルチャーデザイン認証コースを受講しました。

(写真:パーマカルチャーのデモンストレーションサイトにて。

居心地の良い、木陰の素敵な野外ベッドルーム。食べられる植物に囲まれた空間!)

 

コースの講師陣は、パーマカルチャーの始祖を始めコアな実践者たちから学んできた本格派で、

最近のパーマカルチャーのトレンドも、先端を知る彼らを通じて少しつかんだように思っています。

そのトレンドの一つは、、

 

森に還る!

 

パーマカルチャーの世界では、Forest gardens, Edible forests などと呼ばれています。

畑の中に、自然の森の生態系をを模して、果物・ナッツなどの木を中心とした生態系を作り上げます。

熱帯・亜熱帯を中心に、アグロフォレストリーとして知られる農業の手法とも近く、先住民の伝統にも基づくもの。

 

(写真:木が生い茂る、パーマカルチャーのデモンストレーション・ガーデン。)

 

森のある畑を作ると、どんな効果があるかというと、、、

・生態系が、再生される

・森を食する、食生活へ近づいていく

 

講師のRomanによると、

これからの畑はもっと自然の生態系に近づいたものになるべきだ。だから、これからはForest gardens。

 

とのこと。

 

そして、畑が森になる事で、ナッツやキノコ、果物・ベリー、森に生える植物・ハーブなど、

森を食するようになります。森から採れる食材は、栄養豊富で知られています・・

 

今年6月・8月のアメリカへのジャーニーでは、森を食する方法についても、ワークショップでカバーされます。